wee-jay

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『たまこまーけっと』から共同体について考える

『たまこまーけっと』終わってしまいましたねー。Twitterのほうで興奮しながらツイートしてたので個人的には最高に良いアニメでした。たまこたちの日常はこれからも続いていくのでしょうが、現実では永遠に放送することは出来ないですし、また、テレビ番組には永遠は存在しないかもしれません。サザエさんだっていつかは終わるときが来るかもしれません。そしてたまこまーけっとも例に漏れず終わって、しばらくのCMと再放送(やってほしいですねー)以外で電波に流れることはもうないです。それはとっても悲しいなって。

さて、たまこまーけっとは何を描きたかったのでしょうか。勿論色んな側面がありますが割と明確だったのは「地域コミュニティーの暖かさ」でしょう。この作品で描かれていた地域(うさぎ山商店街)のコミュニティーはかなりウエットなもので、「うさぎ山商店街」の餅屋の娘たまこを中心に商店街の人々や学校の級友との交流を描き、南の国人々であるデラやチョイが絡んできて話を動かしていくというものでした。登場人物一人としておろそかに扱うことの無いというか、すべての登場人物をなるべく等価に描くということに配慮がされている。最終話のたまこの商店街のことを語る台詞に表れてますね。幼少のころは商店街の大人が遊びに付き合ってくれて、学校に上がってからは出かけるときおはようと言ってくれ、帰ってきたらお帰りといってくれる・・・この商店街に生まれてよかったと。まあかなり密な人間関係が築かれてます。

それを踏まえて京都アニメーションのスタッフが言いたかったことは
「僕たちが平和なら協力しあって手を取り合っていけばうさぎ山商店街のような世界を作れる。」
ってことなのかな。言い換えると、さっき上でたまこまーけっとが電波で流れることは無いと言ったけど、もしたまこまーけっとの13話を作るのならそれは僕たちみんなの手によるってこと。ちょっと大袈裟すぎるか。

一方で現実世界では地域コミュニティの希薄さが指摘されていて、その希薄さのカウンターとしてのたまこまーけっとであるとも捉えられて、これが基本的な捉え方であると僕は思う。しかし、人間関係は希薄なほうが良いという考え方も当然理解できて、人間関係は煩わしくてそっちのほうが心地よい人もいることは当然である。僕もむしろそっちのほうが好ましく思っている部分も少なからずある。地元は大好きだけど、当然あまりよく思っていない部分もあるので僕が地域コミュニティーについて立場を表明するのはしばらく保留せざるを得ない。したがってたまこまーけっとで描かれた地域コミュニティーの密接さについての良し悪しも保留しなくてならない。うさぎ山商店街は地域コミュニティーのあり方のケースモデルの一つであると言うに留めておきます。

しかし、見た人の中には暖かい気持ちになった人も多いでしょう。僕もそうです。この気持ちがどこからくるのだと考えたとき、その原因は「懐かしさ」や「ノスタルジー」という類のものではなく、実は、本当のコミュニティの暖かさを感じたことが無いからだと思う。もしくはそこから離れていったから。「憧れ」ともちょっと違う。僕の住んでいるところは田舎だけど、このアニメを見ながらこういうことを考えていたらこんな暖かさを感じたことは無いと思ってしまった。また、うさぎ山商店街の例は極端なもので、登場人物に悪人は一人もいない。こんな世界を作ることは生半可なものではないし、現実のもっと小さな共同体でも「悪」は芽生える。たまこまーけっとではそれがない、もしくは隠されている。そういうところと現実との乖離に何か寂しさでも感じたのかもしれない。

しかし、ただひとつ言える事は、「Everybody Loves Somebody」、このアニメの根底に流れる言葉ですが、この言葉、猛烈に良いですよね。
「僕たちが平和なら協力しあって手を取り合っていけばうさぎ山商店街のような世界を作れる。」
やっぱ作れるに越したことはないかな。



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  1. 2013/03/29(金) 01:37:27|
  2. anime
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Pierre Henry/Labyrinthe!

もうすぐたまこまーけっと終わるんだって。びっくりですね。もっと観ていたいですよ。

WBC準決勝で負けてしまいました。正直あの展開でダブルスチールはないと思います。しかもサインミスしてるし。しかしメジャー組不参加で予選から接戦続きのなか勝ち抜いてアメリカまで行けたのは素晴らしいことだと思う。次はプロ野球の開幕が楽しみです。

暖かくなってきました。春ですね。僕は裸が好きなのでもっと暖かくなって欲しいです。ところで春といえば去年くらいから花粉を意識するようになってきて、今年は目がかゆいです。鼻は元々鼻炎なのであまり関係ない気がしますが。



Labyrinthe!
今日はフランスのミュージックコンクレート/電子音楽の作家Pierre Henryの2003年の作品です。七人の作家が提供した物音を、ピエール・アンリが加工・編集したものに様々な電子音をスパイスとして加えたという内容となっている。そもそもミュージックコンクレートというのは具体音楽と訳され、つまり例えば鳥の鳴き声や人間の足音、列車の通過音などの具体的な物音の録音を用いて、それらを加工したりしつつ音楽として構築(作曲)するというもの。そしてこのピエール・アンリという人はこのジャンルの超重鎮であり先駆者というとてもえらい人で、検索してみるとwikiで日本語のページがあったりする。電子音楽に関して言えばこのピエール・アンリ自身、70年代に人間の脳波を電子音に変換するという試みを行っている。

このミュージック・コンクレートという音楽は、個人的には音素材の質感とそれが挿入されるタイミング、音楽的な構成の面白さが重要だと思っていて、この音源はその部分が聴き所である。いろんなタイプの楽曲を聴かせてくれる。
まず#1.で、CDを再生した瞬間、リバーブのかかった金属的な物音がいきなり打ちつけ、その残響が響き渡り徐々に遠のいていく。次の音が現れるのは最初の音の40秒後、ボイスが浮かび上がって輪郭を確かにしていく。次の打撃音、オーケストレーションが連続して鳴るのはその8秒後というように間を大きく取って展開される。後半にかけて隙間はどんどん埋め合わされていく。
#2.はカチャカチャとリズミカルな打楽器が空間を埋める音を軸に、金属などの音が打ちつける音が絡まっていくという構成で、#3,は男女のあえぎ声、カラスや獣の鳴き声、電子音やぽこぽことした打楽器など全ての音が等価に扱われ配置されている。
電子音の動きが面白いのが#5,で、流砂にピコピコしたコンピュータ電子音からダークな電子音響に展開するのだけど、中盤、ドアの開閉音に忍ぶロウな電子音のウェーブの質感がいかつくて素晴らしい。質感といえば#7の多様な物音が不穏にうごめいて空間を埋める上を鋭い機械の動作音が貫く質感もとてもいかつくて良い。
#8,は豊かな電子音と豊穣な水流、美しいオーケストレーション。これらが徐々に高揚していく様に思わず耳を奪われる。そして感動の頂点へ・・・達したところで突然の暗転。世界は暴風雨に包まれ何もかもなぎ倒していく。そして嵐の過ぎた後はまるで幽霊船の中にいるかのようなうらぶれた暗黒世界へ。床の軋む音、わけのわからない不気味な物音、霊の気配・・・そこは静的な冷たい世界・・・一連のストーリーを想起させる素晴らしい展開と物音/電子音の配置、最も耳を引く楽曲でアルバムを代表する一曲である。

このジャンルの先駆者だけあって、本当に素晴らしい構成力を見せてくれるCDである。全体の雰囲気はダークなんだけども、音素材もなかなか豊富なので聴いてて楽しくもある。お勧めです。
  1. 2013/03/24(日) 21:20:40|
  2. music
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M.B./Aktivitat

『たまこまーけっと』ってアニメがとても良いですね~面白いです!!アニメってのは週に一回一話づつ放送するのが普通です。その週の放送が終わって次の一週間待ち遠しいとか、観終わってよしまた一週間頑張ろうと思わせてくれるアニメは良いアニメです。当然主要な登場人物を中心にストーリーは展開するんだけど、他のアニメと比べて登場人物すべてがなるべく等価に描かれているような。つまりすべての人にそれぞれの生活や価値観があって、そういうものが合わさってあの楽園じみた商店街のコミュニティーが形成されているみたいな、それが丁寧に描かれていて非常に楽しいです。あと、かんなちゃん可愛すぎね!!
ま、それは置いといて


M.B./Aktivitat
b_62715_Mb-Aktivitat-1993.jpg
アマゾンでは中古でも9000円って凄い値段がついておりますが、彼の作品は再発がよく出るのでこれも再発されるかも・・・いや、ぜひ再発してほしい出来のアルバムです。イタリアのノイズ作家の重鎮M.B.ことMaurizio Bianchiの初期の作品(1983年)である『Aktivitat』です。

M.B.は個人的に病的な電子音がドロドロと渦を巻いているような不快すぎるノイズってイメージがあるけど、エレクトロニクスとテープ、そしていろんなエフェクターというアナログでシンプルな機材から出てくる音は、そのドロドロした質感を残しつつも完全に轟音インダストリアルノイズな作風となっている。簡単な製法としてはこれはわかりやすい。エレクトロニクスから発振される様々な電子音とテープの音源をコラージュしたものをエフェクターで可能な限りまで歪めるというもの。今ほど機材は発達していなかったという時代的背景もさることながら、このジャンルにおいてはベーシックで古典的なやり方だけど、僕みたいな初心者でも何をやってるかわかりやすいし、何よりシンプルな機材ゆえの格好良さと衝動があると思う。ちょうどヒップホップでいうブロックパーティーの時代、つまり2台のターンテーブルとスピーカーという情景にどこか重なるところを感じます。黎明期の熱さというかなんと言うか・・・

楽曲構成はⅠ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,という曲名で組曲形式になっていて、全体の流れを意識した曲順と言える。一方サウンドの大まかな構成は、延々と続く持続音の漠然とした時の流れの中に、コラージュなどの様々な仕掛けが待っているというのが基本。ここで注意深く耳を済ませると、様々なノイズが荒々しくはあるんだけど繊細にレイヤーを構成しているということがわかる。こうすることでサウンドに洪水のようなの厚みを作ることに成功している。

Part.Ⅰ:下敷きにされたホワイトノイズの上を大蛇のようにうごめくベース音とハネモノのようにリズムを刻むノイズがいかつすぎる冥界行き極太ドラムんベース。

20分に迫るPart.Ⅱは、全てを飲み込むような破壊的ハーシュノイズの持続が「ジリジリ」とか「ゴォォォ」とか唸ってる中に、断片的なボイスコラージュ、M.B.らしい不穏をあおる伸縮電子音と後方で規則的に点滅し続ける潰れた信号音が拮抗しながら忍び込む。伸縮していた電子音がやがて規則的にベース音を送り始めると15分経過後くらいにラジオの演説がコラージュされてくる。18分頃、全て覆っていた磁気嵐が晴れると、ベース音はドローンへと変化し、ぐちゃぐちゃに歪みきって訳の分からなくなった演説と点滅を続けていた電子音が浮かび上がってくる。ここが個人的に鳥肌ものなのだが、客観的に観察すると、荒々しく聴こえていても実はかなり繊細に作りこまれていることがわかる。構成と展開も抜け目なく書かれていて末恐ろしい楽曲である。やがて突然勢いを失ったかと思った瞬間、全ての電気が消えるように唐突に幕引き。パチン!!OFF。

Part.Ⅲは約18分。自動車のエンジン音や戦闘機の滑空音のようにものすごい音圧の中挿入される場違いなオーケストレーションがカオスを誘う。以降も金属的なコラージュが無感覚に耳を叩きつける。Part.Ⅳは腐食の始まった電子音が気持ち悪い序盤、やがて痛んで病んでいるギスギスしてくすぶったような電子音とホワイトノイズが加わる。中盤に痛電子音とホワイトノイズ以外は引いていき、そこから最後ロウな電子音がミミズのように徘徊する。やがてその電子音が細切れになってきて最後は唐突に死ぬように音がなくなり幕が下りる。

このように、なんと言うかザ・ノイズのようなアルバムである。とにかく轟音で全ての音が歪み切ってどこかゲスさもあるけど非常に綿密な作品です。どこかから再発されたら是非聴いてみてください。そんな僕はたまたま中古で安く見つけました。すみません。

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  1. 2013/03/07(木) 21:54:13|
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