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ロバート・ジェームズ・ウォラー/一本の道さえあれば…

「ヘミングウェイの作品が素晴らしいのは当然のことなんだけど、よくよく読んでみると、僕としては小説以上に彼の人生の方が面白いんじゃないかと思ったんです。(以下略)」[音遊人 2007年6月号]

この引用は、ザ・フォーク・クルセダーズで有名な故・加藤和彦氏のインタビュー記事にて、ヘミングウェイに言及した一節である。この引用の骨子は、氏が直後で述べるように、その小説家の人生が面白いものであるならば、おのずからよい作品が生まれるというものである。ヘミングウェイについて言えば、彼のライフスタイルを特集した書籍や雑誌の多さが指標になる通り、ヘミングウェイの実生活についての関心は一般のレベルに達していると言っても良い。なぜなら、彼の実生活は彼の書く小説にそのまま影響を及ぼしており、彼の実生活を研究し分析するという行為は、そのまま彼の文学を解き明かすことにつながり、ヘミングウェイ研究においてこのアプローチが採用されることは多く、一つのポピュラーな方法論として認知されているからである。あるいは、彼の愛用品や趣味などをピックアップし、それを現代の若者がファッションの一部として取り入れるというアプローチも同様に存在する。ここではヘミングウェイはアメリカなるもののアイコンとして認知され、祭り上げられている。

いずれにせよ、ヘミングウェイのライフスタイルが一般にまで関心を及ぼしているのは、彼が晩年を除いて、上質の作品を我々に提供していたということと、彼の文学界に対するあまりも大きい功績が原因なのは他ならない。しかし、世の中には大きなスポットライトを浴びることはなくても(現在は浴びていないと言うべきかも知れない。ヘミングウェイの存在は現代にも、そしてこれから先も普遍的なものである。要は程度の問題である)、人の関心を惹きつけることの出来る作家は存在する。それは人それぞれ違うけど、僕にとってそれはロバート・ジェームズ・ウォラーである。前置きが長くなった。今日はR.J.ウォラーの書いた珠玉のエッセイ集のことを少し書きたいと思う。

エッセイのことに触れる前に、彼の代表作について少し書いておく必要がある。一般的には、クリント・イーストウッドが製作・監督・主演を務めた同名の映画が有名であると思う。僕が『マディソン郡の橋』というこの小説に出会ったのは、二年前の大学の書店である。タイトルに魅かれて何となく購入し、次の時間の大教室の授業でパラパラとページを繰っているうちに物凄く引き込まれてしまって、そのままその授業を時間的に跳躍してしまって、意識が現実に戻ったら、もう次の時間の授業が始まってしまっていた。まぁそんな調子であっという間に読み上げてしまったのだが、そのあとでこの小説を書いたウォラーという男は、一体どんな男なんだ?と興味が漠然と沸いたのである。そのときはそのまま意識の底に沈んでいったのだが、その一年後、大学の図書館の除籍図書コーナーでこのエッセイ集を発見し、再び意識下に一年前抱いた興味が浮上してきたので、そのエッセイを手に取り、バスと地下鉄とJRと自転車を経て僕の部屋の机の上にやってきたのである。リーバイスのデニムに履き込まれたレッドウィングのブーツ、カーキのシャツにオレンジ色のサスペンダーという装いのロバート・キンケイドという写真家の男が、シボレーのピックアップトラックに乗り込んでナショナル・ジオグラフィック社に寄稿する写真を撮るためにアイオワ州マディソン郡へ出向いていく物語(そして同時に魔力的な避けがたい運命的な愛へと向かっていく物語)である。詳しくは映画か原作の小説で楽しんで欲しい。

エッセイに話を移す。このエッセイは『マディソン郡の橋』が書かれる以前、まだ彼が大学で教えていた時代に書かれたものである。昼間学校で教え、週末の夜になると酒場でギターを弾きながらカントリーを歌い、休日にはカメラを持って自然の中に飛び込んでいったそんな時代に。このエッセイで書かれているのはロバート・ジェームズ・ウォラー自身とその周辺のことが大半である。例を挙げるならば、父親や妻や娘、あるいは飼い猫との思い出。子供時代の遊びと自分にとってのヒーロー、一本の道の先に広がるまだ見ぬ世界の夢。バスケットボールに打ち明けた青春の話。旅そして旅。年をとることとそのささやかな人生論。ロマンスを持つということ。キリスト教的自然観への否定(神の否定ではない)とそれに伴う自然への愛。実に彼の人となりがよく分かる短いエッセイ集である。1950年代以降の消費社会の価値観からは淘汰された部分を捨てずに、かつ自分の世界を大事に持ち歩いている印象を受ける。ちょうど「マディソン郡の橋」のロバート・キンケイドのような。何というか、こんな人が地球の裏側のアメリカで生きているということに、僕は安心する。というか、まだまだ救いはあるなと思わせてくれる。何者にも侵略されることなく、自分の価値観とものさしを大事にして、強い心を持つ人ではあると思うけど、決して超人的ではない等身大の人。

このエッセイ全体に、彼がずっと暮らしているアイオワ州の情景のむせ返るような描写が光る。僕はアメリカなんて行った事ないけど、このエッセイ集を読んでいると、眼前にアメリカの田舎が現れて、それに触ることが出来る。風景だけではない。人々、身の回りのもの、文化や風習のようなもの、楽しさ、寂しさにも触れることが出来る。『マディソン郡の橋』も素晴らしい描写力だが、あくまで小説であるから二義的なものであるのに対して、エッセイは自分のことやその周辺について直接書くものだからそのリアリティというか純度は文章と言うフォーマットの中では極めて高い。僕はアメリカと言う国の風景に憧れを抱いているので、このエッセイに惹かれる理由はここにもあるのかもしれない。

このエッセイ集の中で愛すべき文章は多いが、中でも「南への飛行」は素晴らしい。何編かある彼の自然への愛やその保護についての文章は様々な角度(実体験、友人の話)からさまざまに書かれている(通底する価値観は全て同じである)が、この「南への飛行」は自分が渡り鳥のうちの一羽となっている異色なもの。仲間がハンターに次々と打ち落とされていくところ。止まり木や湖の減少(経験的に把握しているものだ)。翼のリズムから生まれる音とその乱れから聞こえてくる<言葉>に耳を澄ます。「人間は何のために鳥を打ち落とすのか。肉のためでないなら一体何故。」「私達は何者なのか。世界のうちでどんな位置を占めるべきなのか」といった問いかけ。そのすべてが我々の心に響いてくる。本当に色々考えさせられる。

こんなところでこの記事を締めたいと思う。作家の哲学とか生き方の方針と言うものは、小説にも根底に流れているものだが、こういうエッセイ集にはそれがダイレクトに反映されている。それを読んだ者が共感し、特に良い所は自分の人生で履行してみるのもいいかも知れない。そういう僕は何一つ履行できてないけど。それはまた別の話。この記事を読んでいただいた方も、そういう一冊が見つけられたら人生の価値基準が少し豊かなものになるかもしれない。本を読むことは楽しい。

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  1. 2012/07/29(日) 20:46:47|
  2. book
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Fire! with Oren Ambarchi/In The Mouth - A Hand

お久し振りです。

まぁた更新が滞ってしまいましたね。リア充って最高だな~♪(涙を拭く)

PCのワイアレスネットワークが何処かに飛んでいってしまいました。飛んでいくという表現が正しいかどうか分かりませんが僕の受けた印象では正に飛んでいったって感じでした。いくら弄っても直らないし、コード繋げばネットも出来るのでもう諦め気味です。

アニメはゆるゆりが抜群ですが、ココロコネクトとTARI TARIに注目してます。

ここからが本題

Fire! with Oren Ambarchi/In The Mouth - A Hand

Neneh cherryとThe Thingの共作も凄くよかったサックス奏者Mats Gustafssonの別プロジェクトFire!の2012年作(録音は2011年)。僕はこのFire!というトリオのCDを聴くのは初めてで、Mats Gustafssonはここではテナーサックスの他にライブエレクトロニクスにオルガン、そしてローズピアノを操っている。そして強靭なリズム隊Johan BerthlingのエレクトリックベースにAndreas Werliinのドラムスという編成を採っている。
そしてゲストにオーストラリアのギタリストOren Ambarchiが加わる。彼は下の動画のように椅子に座り、卓上に様々なエフェクターを並べて(足元にはペダルを)、それを忙しく操りながらギターを演奏することが多いようです。このCDでも同じ方法で演奏してるものと思われます。

ご覧頂いたとおりかなりの轟音でギターノイズを撒き散らしている様子が分かります。このギタープレイは#1.A Man Who Might Have Been Screamingで早速聴くことができる。まずMats Gustafssonのどこか妖艶なテナーサックスに導かれベースとドラムスが入場し、次第に熱を帯びてくるサックスの咆哮の裏でOren Ambarchiのギタードローンが入ってくると、こちらも徐々に存在感を増していき次第にドローンが空間を支配し始める。そしてギターソロになると凄い音量で痙攣しまくったぶち切れノイズギターが炸裂する。ドラムはのた打ち回り、ベースはグルーヴに徹し、後半に行くにつれ演奏の熱量は最大に。ソロが終わるとAmbarchiのギターは再び持続音に、Matsのサックスもそれに同調したロングトーンで雄たけびを上げて幕を閉じる。戦慄の18分。
#2.And The Stories Will Flood Your Satisfaction (With Terror)は、Ambarchiのギターは23分間ひたすらドローンに徹する。ブリブリに歪んでギターに同調するベース、変拍子ドラムスの上をMatsのオルガンとサックスが暴れまわる前半。中盤でギターとベース以外は地に沈み、ベースが不意にラインを刻み始め、ドラムが再び浮かび上がり始まる後半戦。そこではサックス・エレクトロニクス・ギター・ベース・ドラムスが融合し溶け合い混然一体となった轟音カオティック・フリージャズ展開に。アルバム中一番ぶっちぎってる場所であり、一番異様な熱気を孕んでいる。タイトル通り満足が恐怖を含んで押し寄せてくる狂気な楽曲です。
#3.He Wants To Sleep In A Dream (He Keeps In His Head)は、腰を砕く疾走感溢れるクソカッコイイベースラインとストイックなドラムスの上を、Matsのオルガン→Ambarchiのギター→Matsのフェンダーローズと言う順にソロをとっていくある意味ジャズ的なシンプルな楽曲。Ambarchiのギターも相当ですが、ここでは最後のMatsのローズの音が聴きもの。エフェクターをかませて、ビキビキにひび割れ変調し、まったく原形を止めてない凶悪ともいえるローズピアノを弾きまくっており、ホント変態だなと再認識させられる。
#4.Possibly She Was One, Or Had Been One Before (Brew Dog)は、いままでのおおよそ六十分、休むことなくデカイ音が鳴り響いていたのが嘘のような抽象的で音響的な凪のような曲。ベースを中心にエレクトロニクスやギター・ドラムが絡んで余韻たっぷりでアルバムを締めくくる。

こんな感じです。
全体としてはアヴァンロック~フリージャズなサウンドでドローンも入りしかもどこか音響的な幅広い要素が含まれてます。滅茶苦茶テンション上がるのでこの手の音が好きな人は聴いてもらって間違いないと思います。そして、Oren Ambarchiの参加は凄い大きいと思う。Fire!の過去のアルバムを聴いてないから大げさなことはいえないけど、彼の参加によって轟音ノイズ感が増していることは間違いないでしょう。よってひたすらうるさいアルバムです。あと、ジャケットのアートワークもかっこいいですよね。是非体感してみてください。激オススメ!!

動画置いときます



この四人でやってる動画。これもかっこいいけど、正直、動画よりもCDの音源の方が20倍以上かっこいいです。ぶち切れ度が違う。
  1. 2012/07/09(月) 17:42:12|
  2. music
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